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暴力の動機

暴力の最大の動機は正義である。と、かつて某氏は言った。

いじめは他人の犯罪ではない

話の流れとしては、
秋田小1男児殺害事件の犯罪心理・卒業文集
NC-15 - いじめられっこを追い込む元スクールカウンセラーで大学教授の碓井真史

某氏の言うことも尤もであろう。暴力はいつも正しい。正しければ、暴力は容認される。仮面ライダーやウルトラマンだって、そういうことなわけだ。

そういう視点で見るなら、イジメの動機も正義なわけで、イジメを憎み毒を吐く彼の暴力もまた同じく正義に基づいた行動なわけです。どっちも根っこの怪しい正義だ、という点も共通。その視点に立つと「イジメ」も「イジメを憎み闘うボク」も同根、一つの花を上から見たか横から見たかの違いでしかないようにも思えます。

ところで、イジメというと子供のものと思ってる方も多いようですが、大人社会でもありますよ。知ってましたか?

そんなトンチキな社会経験をしてるのはオマエだけだ、と言われそうなので先手を打って例を引くと、スタジオジブリの鈴木プロデューサーもこのように語っておられます。

よくあるんですよ、たとえばいろんな部署でね、一人の問題児がいる、と。そこの長がね、僕のところに相談に来るんですよ。あいつはいろいろ大変な問題がある、と。辞めさせたい、と。
僕はね、辞めさせてそのあとどうするの?と聞くんですよ。集団というのは必ずそうなんだけどね、A君が問題児だとしたら、その人が居なくなったら、次の誰かを問題児にするよ。それの繰り返しをやるの?そんなことやってたら誰も居なくなるよ。

(略)

その人を排除したら、次の誰かが、他のことでそういうレッテルを貼られるわけですよ。

プロデューサー・鈴木敏夫(2006年4月6日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

仰る通り。よくある、ありふれたことです。悲惨さは違っても、いじめの構造は同じ。職場に。昼下がりの団地の下の緑の公園に。老人の集まる場所に。ゆりかごから墓場まで。人のいるところに。食う寝るところに住むところ、ありとあらゆる場所に見出せることでしょう。

誰か『敵」を見つけてその人が攻撃されることで、組織全体が安定します。「敵」がいなければ、別の敵を探すだけ。その人に問題があるからターゲットになるんじゃない、ターゲットが必要で、最も有資格者たる条件が揃っている(と思われている)ために生贄になるのです。

必ず一人は、アナタの職場には困ったヤツがいる。そうじゃないですか?

しかし敵を内部に作れば、陰惨なことになる。外部に作れば、内部は安定し団結する。意識してそうすることで内部の安定を図ろうとすることもあります。ちょうど中国や韓国の反日本感情のように。

その後に続く鈴木プロデューサーの言葉も素晴らしいので紹介。

彼がいる存在、みんなが問題だって言ってるわけでしょ?そんな状態がいいじゃない?

その人を排除したら、次の誰かが、他のことでそういうレッテルを貼られるわけですよ。だから、そういう人がいることによって、みんなが幸せでいられるってことですよ。だからその人が必要なんですよ。

プロデューサー・鈴木敏夫(2006年4月6日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

文脈を切ると意味が繋がりにくく誤解を招きそうですが、イジメを肯定しているわけではありません。安易に切らない。全員でゴールを目指す。そう言ってます。そんな素敵な大人のいる環境ばかりではなし。大人の仕事場ではもっと軽い「イジメ」に相当するものからかなりヘビーな「イジメ」も存在します。

とはいえどのみち、大人の「イジメ」は子供のそれほど陰惨なものにはなりません。子供社会の均一な価値観、世界の広がりの狭さ、抜けにくさ、という環境ではエスカレートしやすいものです。

「いじめを無くす」「撲滅する」という志は立派で、否定するものではありませんが、構造的な難しさがあります。たぶん「止めろ」という叫びは全く無効でしょうね。叱ったり圧力をかけたりスローガンを掲げたり、厳罰主義も情緒に訴えることも、理を説くことも無効でしょう。そんなんでなくなりっこない。

もし止めさせることが可能な方法を探すとしたら…その組織の外側に敵を演出すること、ではなかろうかと思います。具体的にどうする、ということまでは分かりませんが、そのあたりに突破口を見出すしかなさそうです。そうなったらなったで弊害は出てきそうな気もしますけどね。


「何!?仕事も出来ないし礼儀もなってないトンチキな彼が会社を辞めるって?そりゃ困ったことになったな…今の面子と流れを考えれば、次は俺じゃないか!」

そして次はアナタかもしれない

たったったらら たらら たらら (世にも奇妙な物語のテーマ曲で)

コメント (10)

とくがわ:

>もし止めさせることが可能な方法を探すとしたら…
>その組織の外側に敵を演出すること、ではなかろうかと思います。
>具体的にどうする、ということまでは分かりませんが、そのあたりに突破口を見出すしかなさそうです。
>そうなったらなったで弊害は出てきそうな気もしますけどね。

あるとしたら自然の人類に対する脅威、くらいかなぁと思うのです。
それこそ隕石が落下するとか…
もし仮に一時的にまとまっても、結局それも一瞬だろうけど…

えらく平和的で遠い仮想敵ですね(笑

いやほかにもなんかありそうだとは思いますが。
クラス間や学校間での対抗意識が激しいとか。
先生とか大人が悪役を請け負うとか、あと「いじめっ子、兼嫌われ役」というジャイアン的存在もいいかもしれません。

思うに、各自の競争を嫌う過度の水平指向の学校教育って、いじめを助長する土壌になってる気がするんですよね。

>一時的にまとまっても、一瞬
最大でもせいぜい3年、実日数は500日程度でしかないわけですよ。実際はもっと短くていい場合も多いんじゃないかな。

鈴木プロデューサの回の“流儀”見ておくんだった(汗)

そう言われれば仮想敵は必要ですね。
ライバルっていうのは 平和仮想敵なんでしょうか。(ライバル校とか)

昔は、3丁目のカミナリババアとか(←仮想敵)、町はずれのあばらや(?)に住んでいる謎の住人(←仮想いじめられ役)、とかいましたね。
確かに均質になることが、イジメを目立たせているような気がします。
競争意欲の出る方向が陰湿になっているというか・・・

組織の団結力を強化する手段としての仮想敵というものには、劇薬ですね。麻薬のような効き目があり、敵の選び方やさじ加減を間違えると悲惨なことになりますから。

仮想敵をやっつけることそのものが目的化してしまうと、「敵」が組織内の場合はいうまでもなく、組織外の存在であっても、組織は深刻なダメージを受けます。前者の場合は、社内で内部抗争がおき、後者の場合は、組織内の論理と現実社会での常識が乖離して反社会的な行動を取ってしまうようになるからです。残念ながら、そういう例は珍しくないと思います。

とくがわ:

そういえばプロレスラーや俳優で悪役やる人は実はいい人が多いって聞いたことがありますね。
やっぱ度量が広くないと悪役になれないのだろうか?

>思うに、各自の競争を嫌う過度の水平指向の学校教育って、いじめを助長する土壌になってる気がするんですよね。
そういう方向では多様性ってのはあってもいいと思いますね。

過度のいじめってのは結局逆切れ→学級崩壊ってコトにつながりかねませんから、そういう意味ではどこかでガス抜きするってのはいいのかもしれない。

> shi-ta さん
> 鈴木プロデューサの回の“流儀”

録画してあるのですが、よかったら送りますよ。(DVD)

> つじさん

難しいってのは難しいんですけどね…
程度問題というか、加減次第だとは思うんですが。作為的にやらなくても、自然とそういう状態になってしまうわけですし。ある程度あって自然かなとも思います。

> とくがわさん
確かにレスラーの悪役でいい人ってのは、何人も頭に浮かびます。

ありがとうございます。でもチョサッケン的にまずそうだし(誰に怒られるというわけでもないでしょうが)。
それに、マジ見るヒマないんですよね。時間が取れるならハナから本放送見られた・・・鴨(_O_)

ありがとうございます。でもチョサッケン的にまずそうだし(誰に怒られるというわけでもないでしょうが)。
我慢します・・・(_O_)

あぅぅ、2重(しかもヘンな)投稿になってしまいました。ごめんなさい(涙)

DVDの件了解です。
>2重
いえいえあまり気になさらずに。それもコメント欄の賑わいってことで、こちらとしてもありがたさのうちですよ。

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